上之町の山車 まんど

沼田において山車のことは「まんど」と呼ばれている。沼田の祭礼の歴史の中で「山車」という言葉が出てくる現存する資料は[上之町祭典録]で、これは明治18年から記載された物で、山車の名前が確認される。古くは[まんど]と呼ばれたものが、神輿とともに城中にまで入ったと言われている。[まんど]はどのような形式であったかは、現在も資料か゛皆無である以上解らない。現存する写真は明治29年のか組の写真です。現在の山車形式が採用された一つのかくれた原因としては、明治5年の氏子分け以後に各町内で祭が盛んになり、上之町では新機軸を案出して鼻を明かすため現在の山車形式を採用したのではあるまいかと考えられる。上之町は大正初期にいたり始めてそれまでの形式、1本柱山車から4本柱山車に切り換えられる。昔の山車の風格は失ったが機能性には断然優れている4本柱形式はたちまち全町にとり入れられることになった。


後部車輪右下はブレーキ

大八車型車輪を使用

前輪梶は左右90゜回転

下幕後方部分

後部、鬼板と懸魚

小鍛冶前の衣装と宝刀

衣装新調の小鍛冶

大隅氏による宝刀制作

四方幕

祭吉連の刺子半纏

前部、鬼板と懸魚

子供半纏とはちまき

か組祭り基本衣装

呑気連の半纏

紅連の半纏

現在の上之町のまんど(山車)は昭和52年製作。特徴は唐破風の総屋根、上記の画像の通り山車形式(江戸型山車)では珍しい山車全長にわたる屋根に鉾台が付く。勾欄の上段(1段または2段)が上下し、上昇したときには2倍もの高さになる。勾欄を全部下ろした状態は、舞台屋台に見えます。車輪は4輪で前輪が左右90°旋回する、 大八車と同じ形状の車輪を使い。屋台を支えるには十分な強度を持ち曲がることに関しても、威力を発揮し性能がよい。道が狭くカーブの多い沼田には最適な車輪です。また、坂道が多いため画像の通り後輪に手動ブレーキを使用しております。最上部に乗る山車人形は京都祇園祭の長刀鉾の長刀を打ったという名工、三条小鍛冶宗近の伝説の一つ小鍛冶を題目に制作、人形及び面は面六人形師、田口義雄氏により制作。宝刀(小狐丸)は人間国宝大隅氏により打たれた物。平成15年岩槻市の八作さんにより人形衣装等を新調する。おぎょんの祭り衣装は、半纏の色や模様は各町内独自のもの。統一された鯉口シャツや腹掛け、股引を使用する。か組の祭り衣装は揃いの鯉口シャツ・股引に半纏を半纏帯で締め、雪駄にはちまきまたはてぬぐいかぶり。小物は巾着袋や扇子。特にか組では上記の画像の通りか組半纏の他、各会(祭吉連・呑気連・紅連)など独自の半纏も着用している。

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沼田祇園囃子保存会祭吉連 HP事務局 担当春吉

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