須賀神社の由来:今から約400年前、即ち天正18年(1590)に真田初代城主信幸の時代に、吉沢将鑑という鍛冶が見世頭になったが、市神である牛頭天王が沼田の町に祀ってないので、森下の変成院より古宮を勧請して現在の下之町四つ角付近、天王石の地点に新宮を建てたことから始まります。その後23年経った慶長17年(1612)に信幸が本町町割に大改革を実施した際現在地、中町へ移築したと言われています。明治元年政府の命により社名変更が行われた際に、祭神素戔嗚尊が出雲の国須賀の邑におわした故事にのっとり『須賀神社』と改めた。


平成19年 8月5日夜・須賀神社二の宮御輿の宮入
おぎょん(沼田祇園祭)のクライマックスは何といっても須賀神社神輿の宮入です。須賀神社境内では氏子以外の人も唯一担ぐことが出来ますので花棒の取り合い。須賀神社奉賛会金井係長の鐘の音とともに須賀神社神輿が宮入をすると熱く燃えた3日間のおぎょんも終焉を迎えます。
下記の画像をクリックすると拡大画像や映像が一部ご覧いただけます。 平成19年8月撮影

須賀神社例大祭(おぎょん)の神輿先導は、猿田彦(さるたひこ、古くは、さるだびこ)です。猿田彦は、日本神話で、天津彦火瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が降臨(天つ国から下降する)の際、天宇受賣大神(天岩屋戸の前で踊って天照大神を慰めたという女神。鈿女命。猿女君の祖とする)を、天の八衢に出迎え先導し道案内をしたといわれる土地の神・土公神(とこうじん)とされています。このことから神幸行列では、先頭に立って祓い導きます。
容貌は魁偉で鼻の長さは7咫、長い口髭をはやし、目は八咫の鏡のように爛々と輝き、身長7尺余の神通力のある神さまとされています。その高徳により、「導きの神」「道開きの神」として困った時や物事の始めに、災厄を祓い幸運をもたらす大神としても高名で、全国に猿田彦の名の付いた神社が多数あります。猿田彦の衣装は、頭巾を被り、赤い顔に長い鼻、白い長い髭、一本下駄履きです。

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沼田祇園囃子保存会祭吉連 HP事務局 担当 春吉

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